天皇在位30年式典反対の銀座デモ、楽しくやりぬいたよ!

© mkimpo.com

こちらにも写真があります(©mkimpo.com)

●憲法に違反して「代替わり」の道筋を作った明仁
 このたびの「代替わり」は天皇自らが退位を宣言し、世論を先導して国会を動かし、立法までさせて道筋をつけたものです。「憲法を守る」と宣言して30年前に即位した明仁は、憲法に違反して退位を実現させようとしています。
 天皇の退位は、決して人間的な共感をもって迎えられるべきものではありません。明仁は退位の目的を「象徴天皇の務めが、安定的に続いていくこと」と述べています。

●米国主導の戦争に同調しつづけた明仁
 強権的な安倍政権が続くなかで、天皇の発言に政府への対抗的なメッセージを読み取る人が増えたのも「平成」時代の特色です。しかし天皇制と、米国への外交・軍事協調路線は、まったく矛盾のないものです。


 明仁は、2001年の「米国同時多発『テロ』」に際して、ブッシュ大統領に「異例の弔意」を送り、米国のアフガン侵略では、「戦争による解放」を祝いました。また、イラクに派遣された自衛官を皇居に招いてねぎらいました。「平成」時代の後半、世界で展開されてきた米国主導の「対テロ戦争」に対して、明仁は同調する姿勢を貫いてきたのです。

●侵略・植民地支配責任を取れなかった天皇制
 冷戦が終わり「平成」時代を通じても、日本政府は侵略や植民地支配の被害者への謝罪や補償を果たしませんでした。天皇は92年の訪中や韓国大統領の来日時などに、戦争や植民地支配に関わる発言をしましたが、天皇制の戦争責任への視座を欠いた無責任なものに過ぎませんでした。
「昭和天皇は平和を愛していた」と繰り返し述べる明仁の歴史観は、日本社会の歴史観を限界づけてきました。「無責任の象徴」たる天皇を戴いている限り、侵略の歴史を直視することはできません。

(おわてんリーフレットから)